
高尾山薬王院の本尊・飯縄(いづな)大権現御影(みえい)
この神の姿は、ズバリ「狐に乗った烏天狗」です。
薬王院では不動明王の化身と解釈していますが、一般的には天狗やダキニ天の変化、
あるいは稲荷神と考えられています。
なぜそのように実態がはっきりしないのかといいますと、
飯縄神はもともと、人間(宗教者)が修行の中で捻出した神体ですから、
ご利益に応じた複数の神々が合体した姿をしているからなのです。
以下、簡単な解説を加えながら、この神のバリエーションをご紹介します。
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上のおふだの全体図。 |
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平成15(2003)年春に、高尾山のパークボランティア会員となった私は、薬王院の本尊である飯縄大権現と飯縄信仰について非常に興味を惹かれました。もともと民間信仰の歴史が好きだったのです。 |
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上のおふだを頂いた時には全く気にならなかったのですが、後によくよく見ると「信州善光寺常圓坊鎮座」と書いてあることが気になり始めました。翌平成17年の夏、善光寺の宿坊「常円坊」を訪ねてみますと、確かに飯縄大権現を祀っているということでした。訪問の事情を話しますと特別に拝観させてくださいました。 |
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上記のとおり、飯縄大権現には火防・火伏のご利益があるのです。なぜかということは徐々にご説明します。 |
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左は上記、飯綱山山頂にある飯縄神社奥宮と山麓にある飯縄神社里宮のおふだです。里宮は全国にある飯縄神社・飯綱神社の総本山とされていますが、明治時代の神社合祀運動のさなか、「皇足穂命(すめたるほのみこと)神社」と改名させられました。皇足穂命は食物の神様です。 式内郷社として神社を存続させるためには主祭神が天狗ではマズかったのでしょうか。しかし、この地ではもともと飯綱山の神様といえば日本第三の天狗である飯綱三郎坊天狗と信じられていたのです。 しかし、私が訪ねた当時は宮司さんもいないひっそりとした神社で、土地(荒安地区)の氏子さんたちが管理をされていました。 この2枚のおふだは、当時の氏子代表の方に分けていただいたものです。 *現在は戸隠神社の宮司、越志先生が里宮の宮司も兼ねておられます。 |
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この飯縄大権現と同じ姿をした神様は秋葉三尺坊大権現といいます。もともとは秋葉山(あきはさん)の秋葉寺(しゅうようじ)に鎮座していたのですが、明治以降、静岡県・袋井の可睡斎に祀られています。火防の神として、戦乱の収まった江戸庶民の新たな大敵となった火事を防いでくれる神様ということで大ブレイクしました。右はその火の用心のおふだです。今や世界的に名の知れた秋葉原の地名も、ここからきています。 |
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これが上記・秋葉寺の三尺坊大権現のおふだです。 |
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これは戸隠宝光社・教釈院における僧形の三尺坊で、現在は宝光社の宿坊「岸本旅館」となっている戸隠秋葉会のおふだです。岸本宮司から頂きました。 鼻が伸びて天狗の相をしており、ここでもやはり火防の神としての信仰を集めています。この座り方を半跏趺坐といいますが、戸隠公明院に祀られている紫金仏(地蔵菩薩)もやはり僧形の飯縄権現といわれています。 岸本家には秋葉三尺坊が起こしたといわれる多くの奇跡談が伝わっています。 なぜ天狗が火防の神なのかといいますと、江戸時代の火事は天狗の仕業だと思われていたからなのです。天狗は持ち物の羽団扇で風や火を自由に操れる魔神だと考えられていました。 ですから庶民は天狗を祀り、火事を起こさないように祈ったのです。 |
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これも秋葉三尺坊大権現。目黒不動尊の近く、蛸薬師で有名な成就院のおふだです。蛸薬師の絵馬を購入しに訪れて偶然見つけました。秋葉山がこのお寺に分祀されていたのです。
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こちらもやはり飯縄大権現とほぼ同じお姿(右手には降魔の剣ではなく、金剛棒を持っている)で、道了尊といいます。金太郎で有名な神奈川県足柄市の大雄山最乗寺の守り神です。道了尊はもともとは三井園城寺の大行者だったそうですが崇拝する同郷の了庵禅師が応永1(1394)年に最乗寺を開山するという話を聞き、忽然と天狗に変じて空を飛び禅師の元に馳せ参じたといいます。 |
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飯縄大権現や秋葉三尺坊大権現の姿の元になったモデルは、このダキニ天(荼枳尼天、荼吉尼天)です。もともとインドでは人の心臓を喰らい血をすする女夜叉でしたが、大黒天に服従し、やがて中国を経て日本に渡ってから徐々に善神へと変身し、ついには豊川稲荷や最上稲荷のご本尊である稲荷神へと大出世を果たし美しい福神となりました。しかし一方ではこの女神を祀ると過去現在未来の事柄を自在に知ることが出来るようになると信じられていました。 これをダキニ信仰といいます。一種の邪教でもありました。 じつは、この女神と一緒にいる(女神の本体ともいわれる)狐がクセものなのです。 一方、美しい女神としての姿は戦国時代の武将たちにとってはインパクトに欠けたのでしょうか。飯綱山に籠もった武将修験者・千日太夫によって女神は狐から降ろされ、飯綱山の天狗にとって替わられたのです。 晴れて飯縄大権現となった戦神はその後、上杉謙信、武田信玄、北条氏康らに篤く信仰されるようになりました。 |
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一方、豊川稲荷のダキニ天や、この穴守大神のように大衆のための善神的側面がフィーチャーされた場合は稲荷神として愛されました。 |
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高尾山薬王院にも稲荷社(福徳稲荷)があります。権現堂の横にひっそりとある神社風の小社です。正面にはちゃんと鳥居もあります。祭神はダキニ天。で、私はこの小社こそ薬王院の本体だと考えているのです。余計なお世話なんですけど。 |
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こちらが宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の神像です。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)ともよばれています。成田山新勝寺の境内に鎮座する出世稲荷のおふだです。 ちなみに倉稲魂命はお正月に私たちの家にやってくる大年神(おおとしがみ)の弟神です。飯縄神社里宮の祭神、皇足穂命とも無縁ではないと思われます。 |
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これは茨城県・筑波山の奥山にあたる加波山(かばさん)神社のものです。 修験の山にはほとんど守護神としての天狗が祀られています。 この山には今でも岩切神(いわきりのかみ)という天狗信仰があり、かつては飯縄系のおふだを出していたということです。 残念ながらそのおふだはもう出していないということでしたが、この天狗さまも荒々しい顔をしていて気に入っています。 |