延命院(将門山)
| 所在地 | 茨城県常総市神田山 |
| 祭 神 | 延命地蔵菩薩、不動明王、観音菩薩、毘沙門天、大威徳将門明王 |
| ご利益 | 所願成就、戦勝 |
●中央の「南無阿弥陀仏」の碑は昭和50(1975)年に千代田区大手町の「史蹟将門塚保存会」つまり将門公首塚から移されて寄贈されたものです。「大威徳将門明王」の碑は当院住職・倉持照最氏が建てたものだそうです。他にも岩井の人達が寄進したものなど、周囲には多くの石碑・板碑・石像が建っています。
●この地は相馬御厨(そうまみくりや=伊勢神宮の神領)だったため、朝廷も手が出せず、今日まで塚が暴かれることがなかったといいます。では誰が胴を埋めることを許可したのでしょう。じつは将門は下総の開墾地主であり、相馬御厨の下司に任ぜられていたのです。将門は少年時代、京にいて太政大臣・藤原忠平(ただひら)に仕えていたことも関係していたのでしょうか。
●ここの地名は神田山(かだやま)といいますが、やはり将門を祀る東京の神田神社(神田明神)と同じ字です。胴…つまり「からだ」が転じて「かだ」とか「かんだ」になったという説もありますが。これはちょっとこじつけのような気もします。特にここは神領=神の田だったわけですから、わざわざ生臭い説を採用する必要もないでしょう。
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右は「埋蔵文化財 将門山古墳」左は「天然記念物 カヤ」とあります。この写真の左は境内にある不動堂で、ここはその不動堂裏になります。円墳(胴塚)といわれていますが、大きなきカヤの木の根元がそのまま盛り上がった感じです。この塚を将門山、または神田(かだ)山といいます。 |
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その塚をご覧のようにお地蔵さんが取り囲んでいます。というより、静かに見守っているという雰囲気です。将門を愛して止まない人々の思いが込められているようです。 |
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カヤの木を囲むように、このように石塔が立っています。他の写真を見ますと木塔なども立っていた時もあったようです。将門を偲ぶ人がいつの時代にも途切れることなくいたのでしょう。 |
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